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第621話 中野サンプラザ(2023.7.15)

 オープンしたのが1973年6月とのことなので、筆者が来館したとすれば小学校に入る前くらいの話になる。中央線沿線のとあるホールで、子ども向けのステージショーに連れて行ってもらった(+何故かステージに上がることになった)記憶はあるが、それが中野サンプラザだったのかどうかは定かではない(可能性はゼロではない?)。

 自覚がある上で初めて中に入ったのは、学生になってから。記録帳によれば1988.4.6のことで、その時に撮った写真もあった。15周年記念セレモニーがあるというので出かけたのはその2か月後。自転車で環七通りを北上し、高円寺を経由してからサンプラザを訪ねた。パンフレットなどをもらって帰って来ているとは思うが、あいにく手元にはなし。トランクルームに保管してある年代別資料を探せばおそらく何かしら出てくるだろう。(出てきたらまた改めてということで)

 ホールでのコンサートでは、佐野元春「TIME OUT!」の公演が最初。1990.11.30のことだから今となっては昔話である。以後、山下達郎「PERFORMANCE’92」(1992.3.14)、EPO「LIVE TOUR ’92『Wica』」(1992.12.5)、山下達郎「SINGS SUGAR BABE」(1994.4.26)、吉田美奈子コンサート(1995.5.14)、山下達郎「Performance1998」(1998.12.23)、同「Performance2002 RCA/AIR Year Special」(2002.3.8)の順で来館。一つの会場でのコンサート等の来場回数としては、中野サンプラザが最多だった。これを上回る会場が今後出てくることはおそらくないだろう。近年はすっかりご無沙汰になってしまっていたが、過去にそれなりにご縁があったとなれば思い入れはあるし、閉館されると聞けば惜別の念も大いに湧くというもの。足しげく通った人にとっては尚更だと思う。

1988.4.6に撮った中野サンプラザ。白く、フォルムが独特な建物だった。
アングルが多少異なるが、最終日(2023.7.2)の中野サンプラザはこんな感じ。昔と比べると看板要素が多々加わっているのがわかる。
中野サンプラザでの公演チケットの一例。1992→1995→2002の順で、概ね4,500円→6,000円→7,500円と段階的に料金が上がっているのがまた… 時代の流れを感じる。
「Performance2002 RCA/AIR Year Special」のポスター。2002年3月8日(金)/9日(土)中野サンプラザホール・・・期せずしてこの時の初日が、筆者の同ホール来場ラストということに。

 さる7月2日は、山下達郎「PERFORMANCE2023」の公演2日目にして、中野サンプラザの最終日。そういうことならと当のコンサートも申し込んでいたが、ファンクラブ会員でもなければまず当たることはない。幸い新譜の予約販売があるというので、単なる来場者として出かけることに。販売会場は2階部にあり、サンプラザのエントランスなどを見下ろすことができる。ホールの中には入れないにせよ、ロビーに通じる階段を堂々と歩けるというのもありがたい。その販売会(新譜予約会)は13時スタート。大いに混み合っていることも予想されたため、少しずらして行ってみたが、すんなり入れて拍子抜けだった。あとで係の方に尋ねてみたら、スタート時はまばらで15時台の方が増えてきたとのこと。整理券や入場制限といった措置もなかったそうだ。

西隣の中野区役所庁舎にも「最後の中野サンプラザ、はじまる。」などの横断幕が掲出。
サンプラザホール、7月の催物は1日の「さよなら中野サンプラザ音楽祭」、2日の「山下達郎『PERFORMANCE2023』」のみ。料金は1日が8,800円、2日が11,000円。
50周年のアニバーサリーイヤーに閉館というのがまた何とも... 音楽祭、ホールの最後が「PERFORMANCE2023」というのは、ファンとしては誇らしい限り。
「さよなら中野サンプラザ音楽祭」終盤のラインナップ。サンプラザならではの多様性を感じる。
「PERFORMANCE2023」は、18都市39公演の予定。かつては中野サンプラザで千秋楽というのもあったが、今回は何と2日目。
ホール入口に通じる階段手前は何やら物々しい印象。販売会などがなければ、一般来場者はここが限界だったことになる。
ありがたいことに「新譜の予約会」が13:00~16:15に、グッズ先行販売が15:45~16:15にそれぞれ行われ、ホールの近くまで行くことができた。

 中に入ったのは13:50頃だった。新譜予約の方は一旦下見で入らせてもらい、その後に館内1階をひとまわりし、外も一周。改めて新譜の予約をし、15時にはひとまずサンプラザを後にしていた。遅い昼食をとった後、再度行ってみるとコンサート来場者の列とグッズ販売会目当ての列とができていて、浮足立つことに。グッズ販売は15:45~だったが、開始前に列が動き出していたので筆者もその最後尾に加わることにした。今度は3階部のロビーが会場。何もなければそこまでは行けないところだが、コンサートのサイドイベントのおかげで、懐かしのホールにより近づくことができたのは大きい。列が進む間は、見納め、撮り納めに専念。撮影禁止という訳でもなかったので、ここぞとばかりにいろいろと撮らせてもらった。並び始めてから会計を済ませるまで25分ほど。主にホールのロビーにいた訳だが、貴重な時間となった。

 以下、当日の館内外の様子、中野サンプラザの概要、グッズ販売会などについて、写真メインでご紹介しようと思う。

中央・総武緩行線(黄帯)の電車から見た中野サンプラザ。駅前に高層建築物が他にないため、車窓からもよく見えた。
中野のランドマーク的存在だった中野サンプラザ。左隣は中野区役所。サンプラザ、区役所ともに「中野駅新北口駅前エリア再整備事業計画」(→参考)の対象で、いずれも見納めということに。
エントランス付近から見た中野サンプラザ正面。地上21階というのは今でこそ低めだが、50年前は堂々たる高さだったと思われる。
中野サンプラザの西側。傾斜部は見事なまでに真っ直ぐ。
こちらは北西面。その斜面はジャンプ台の如し。
中野サンプラザの東側。ピラミッドのようにも三角定規のようにも見える。
「中野サンプラザ50年のあゆみ」ボードにあった建物の断面図など。地下は3階まであった。ホールが低層階の大部分を占め、高層になる従い、人の密度が少なくて済む施設を配置しつつ、床面積を小さくしていったのだとか。ホテルのフロントは16階にあり、16~19階が客室。最上階(20階)には「121ダイニング」と「なかの」の二つのレストランがあった。
サンプラザホール1階座席図。EPOのコンサートでは1階2列目で、この上ない条件だった。
こちらは2階席。座席定員はホール全体で2,222人。程よい規模で、居心地も良かった。
新譜の予約会が行われたスペースから見たホール側。階段を上がった2階部がホール1階席の出入口、その上階が2階席に通じていた。
1998.12.23に来場した際のサンプラザホール階段付近。中野サンプラザ25周年の年だった。その後の25年もこの構造はそのままだったことがわかる。
階段を上がった辺りの様子。階段、ロビー(ホワイエ)の床、客席など、基調色は赤。気持ちが高まる色調の筈だが、不思議と落ち着く。
2階右手には軽飲食コーナー。最後の晩に開店していたかどうかは不明。
1998.12.23の2階ロビー(ホワイエ)。グッズなどの販売は当フロアだった。パンフレットは別の会場で購入済みだったので、この時はマウスパッド(今は秘蔵品扱い)を買った。
ついでにセットリストも。詳細は第32話に掲載の通り。
こちらは2002.3.8のセットリスト。「RCA/AIR Year」(1982年までの作品)という縛りがあったため、「クリスマス・イブ」「GET BACK IN LOVE」などはなし。
階段を上がったところから見たエントランスなど。左の空中回廊のようなスペースで、新譜の予約会が開かれた。そのスペース、かつては喫茶「マーブル」があった。
1階ロビーを見下ろす。広々した吹抜空間もサンプラザのポイントの一つ。
新譜の予約票(記入前)。CD本体1,300円に加え、送料700円ということで一時保留。
最終日=「閉館まであと0日」。このコーナーなかなかの人気で、なりきりパフォーマンスをする人、それを撮る人の列が続いた。(待機ゼロになったところをすかさず撮影)
サンプラザの起源は、「SUN=太陽」+「PLAZA=広場」。光が注ぐこの感じ、正にサンプラザである。
1階の奥には総合案内のカウンターがあった。エレベーターは東西にあり、西側エレベーターは7階・8階(研修室など)、東側エレベーターは16階のホテルフロントをはじめ、10~15階の宴会場などにアクセス。
どことなく歴史を感じる東側エレベーターの一つ。2~5階はホール、7~9階はテニスコート、17~19階はホテル客室という構造上の設定で、飛び飛びになっている。
今や過去形の「全館ご案内」。様々な施設の複合体だったことがよくわかる。
館内案内は入口の前にもあった。東と西で施設が振り分けられているのがこれでもわかる。
1階の特設コーナーには、中野サンプラザの新旧施設を紹介するファイルが置かれ、自由に見ることができた。8階にあった「ヤングフロア」「ふるさとコーナー」、今となっては昭和レトロな空気を感じる。「全国勤労青少年会館」ならではのコーナーとも言える。
2023年も6階には神殿、地下1階にはプールがあった。「複合施設」の鑑のような存在、それが中野サンプラザだった。
ファイルの最後のページがこちら。感慨深いものがあった。
筆者が初めて訪ねた頃の中野サンプラザはどうだったのか気になって、「ぴあmap’87」をチェック。1~3Fのホールは昔と変わらずだが、9Fには「サンプラザ図書館」、1Fにはチケットぴあもあった。ホールは「ロック等内外アーティストのコンサート中心に、映画・演劇等利用は多彩」、図書館は「勤労者対象だが時間により一般も閲覧できる。小説、趣味の本等軽図書中心」だった。
午後3時、入口前のカリヨン時計が動き出し、俄かに観衆が集まった。これも見納め、聞き納めということに。
15:35過ぎ、再びサンプラザへ。コンサートに当選した幸運な方々の長い列などができていた。
グッズ販売は16:15まで。列に並んでいても時間になればコーナー終了とのことでヒヤヒヤモード。筆者は16:05頃に会計できた。
数あるグッズの中から、今回はツアーパンフレットを購入。3,000円したが、記念品としては上々。会場での特典として、オリジナルマグネットもいただいた。

 そんなこんなで、サンプラザをメインに中野駅北口で2時間半を過ごすことに。ちょっとした観光レベルの過ごし方だった。コンサートに当たっていたら終演後のセレモニーも見物することになっただろうから、14時~22時として8時間コース! 最終日を満喫するのであれば、それくらいは当たり前という方も中にはいたかも知れない。

 なじみのある施設や建物の閉館、終了というのはこの先も続くことだろう。可能な限り足を運んで、思いを馳せるなりしようと思う。


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