小学生になる前までの自宅最寄駅は小田急線の経堂駅だった。となればちょっとしたお出かけ先は新宿ということになるので、小田急線新宿駅の上に建つ小田急百貨店にはお世話になる頻度も必然的に増える。9階には「お好み食堂街」に相当するレストランがあり、屋上遊園もあり、7階には玩具売場・・・子どもが行って覚えていそうな場所と言えばその辺りなのだが、よく出かけていた割には記憶の方はあまり... 遥か昔の話になってしまったことだけは確かである。
1987年に一人東京に戻ってきてからは、新宿が再びメインの外出先に。この頃すでに記録帳が習慣化していたので、小田急百貨店の記載もちょくちょく出てくるが、店内で何かしらの用件があった分を拾うと、
年月日 | イベント等 |
1987.10.12 | 英国博・大鉄道展(グランドギャラリー) |
1987.12.19 | 報道写真展(グランドギャラリー) |
1988.10.2 | ラインケラー(スカイレストラン) |
1988.12.22 | 報道写真展(グランドギャラリー) |
1988.12.24 | 三省堂書店 |
といった具合。当時は「懐かしの小田急百貨店に来た」という感慨も少なからずあった訳だが、今やこれらの年の話が35年前となり、すっかり懐古状態になっている。
JR新宿駅の西側に寄り添うように建つのが新宿店の本館。本館は北側の地下鉄ビル(旧営団地下鉄所有)、南側の小田急新宿駅ビルの集合体で、地下鉄ビルが1966年、駅ビルが1967年に竣工した。その本館と今のハルク(1967年当時は別館)とを合わせた新宿店全館がオープンしたのが1967年11月23日とのこと。筆者が学生時代に懐かしがっていたのはオープンから20年後の話で、まだまだこれからだったと今は言える。
その本館が約55年の歴史に幕を下ろす日が近づいてきた。営業最終日は10月2日。本館終了後はハルクにその機能が移るため、「小田急百貨店新宿店は、閉店しません。」というのが合言葉のようになっているが、メインの建物がなくなってしまうという意味では一大転機であり、本館が「閉館」となる事実は変わらない。寂しくないと言えばそれは嘘になる。
新宿駅周りは、小田急電鉄、東京地下鉄が事業主体となる「新宿駅西口地区」、京王電鉄、東日本旅客鉄道が事業主体となる「新宿駅西南口地区」の二つの開発計画があって、とりあえず先に動き出したのが新宿駅西口地区という形。リリースを引用すれば、「新宿店本館跡地には、新宿グランドターミナルの一体的な再編を象徴する大規模開発として、高層部にはハイグレードなオフィス機能、中低層部には新たな顧客体験を提供する商業機能を備える地上48階、高さ約260メートルの超高層ビルを計画しており、2022年10月(予定)以降に着工、2029年度の竣工を予定しています。」とのことで、今の小田急百貨店本館の地上14階、高さ62mと比べると3~4倍のスケールになる。激変である。
モザイク通りや京王百貨店の方もいずれはという話だが、計画が具体化したらまた見物、撮影にとなるだろう。渋谷同様、新宿も駅周辺が完全に落ち着く日が来るのは当分先という訳だ。
- 新宿駅西口地区の開発計画について(2020.9.9)
- 新宿駅西南口地区の開発計画について(2022.4.13)
- 新宿駅ご利用通路の変更のお知らせ(2022.9.29)
- 新宿駅西口地区開発計画における既存建物解体工事への着手に係るお知らせ(2022.9.29)
などと書いていたら、モザイク通りの方も営業終了のリリースが出てしまった。2023年3月25日が最終日。もう半年もない。
そんな訳で今回は、閉館を控えた小田急百貨店新宿店本館に関するあれやこれや。9/3、9/24に撮った写真をメインに、外観、見どころ、特色などをご紹介する。(本稿掲載日の翌日が最終日というのがまた何とも...)
外観(その特徴的デザイン)
営団のビル(1966年~)と小田急のビル(1967年~)との一体感を持たせるための工夫として、同じデザインの窓枠というかパネルが上下左右に連続する形になっているのが同館外観の一大特徴。それだけだと単調なので、基軸となるエレベーター5基分が入る構造体(この高さが62m)の壁面を暖色系のグラデーションにしたところがまた秀逸だと思う。新宿駅西側の目印として、特に晴れた日には燦然としたものだったが、工事が始まれば見納めに。坂倉準三デザインがまた一つ消えることになる。
その特徴的な壁面を使ったイルミネーションも当館ならでは。9/7~10/2は毎日18時~22時半に「小田急百貨店社紋(通称ニコニコマーク)+♡(LOVE)+U(YOU)」が点灯。最終日に見に行ければと思っているが、天気次第か。
少し離れた場所から
優れたデザインの建物は目を惹く。過去に撮った本館の写真でまずまずのものがこの二枚。そして9/24に「新宿大ガード西」交差点からズームで撮ってみたのがその下。14階建てだからこその存在感というのがあるとすれば、48階というのは果たしてどうなのか、顔として代わり得るのか… 駅がそこにあるというのが逆にわからなくなるのではないかと思ってみたりもする。
地階と1階の動線
本館にはいわゆるメインゲート(大扉)がない。1階(北側の店舗部分を除く)、地下1階とも、外部と建物とを区切るエントランス的なものが存在しないのである。
斯様に開かれた設計になっているのは、小田急線改札(1階・地下1階)と地下1階のJR、地下2階の東京メトロ丸ノ内線の各改札との相互における人の行き来、または新宿西口(地上部・地階部)と各線改札との往来を優先したことによるという。本館の地下1階のフロアガイドがない(ホームページ上で「B1F」をクリックできない)のもそのためで、同階は「新宿駅コンコース」とだけ記されている。
小田急線1階改札を基準にした動線というのもあって、改札を出て左に進めばエレベーター、エスカレーターで店内へ、中央を直進すれば階段で他社線へとなっているのが一つ。そしてその階段の左側が丸ノ内線改札方面、右側をさらに下るとJR線改札方面という動線も組まれている。乗り換え客が目的の改札に円滑にアクセスできるための仕掛けなのだとか。その先見性たるやである。
見どころ
2022年9月の段階で、本館内にある見どころ(閉館前に押さえておきたいポイント)をまとめてみた。ひとつご参考まで。(写真つきで紹介できない分については、こちらの連載コラム「寺坂直毅の小田急百貨店ジャーニー」をご覧いただくということであしからず)(^^;
13階
12階
11階
10階
9階
5階
1階
地下1階
館内撮影NGにつき
(代わりに掲示物、フロアガイドなど)
百貨店となると店内、館内での写真撮影はまずNG。ならばその外からであれば何とかなる?と考えトライしてみた。
外にあるもの、外に貼り出されているものであれば問題なかろうということで、記録として良さそうな表示や掲示はとにかく撮ることに。
悩ましいのは「店内の撮影は」ではなく「店内での撮影はご遠慮ください」となっていること。中から外を撮った場合、屋内ではなく屋上(屋外だが店内?)の場合も駄目となると、前段の分の一部はアウトになってしまう訳だが... 10月3日以降は過去の話(こういうのもあったなぁ的な)になる故、お咎めも何もないだろう(と思う)。
ふりかえり
90年代は「報道写真展」を見に小田急百貨店新宿店に行くのが年末の恒例行事だった。当時は11階の「小田急美術館」(1992年~)が会場。催物場ではなく美術館ということで、何となく襟を正して見ていた覚えがある。
同展が小田急百貨店で開催されていたのは2000年まで。2000年12月24日に観覧したのが当館では最後となった。2001~2004年は新宿三越、2005年以降は日本橋三越が会場となり、早いもので17年が経った。
「報道写真展」の会場でなくなったことで疎遠になるかと思った小田急百貨店だったが、2001~2009年は毎年最低1回は百貨店に足を運んでいたことがわかった。通勤などで新宿を経由することが多かったためと思われる。
2001年 | 1回 | 2003年 | 9回 | 2005年 | 21回 | 2007年 | 17回 | 2009年 | 1回 | 2016年 | 1回 |
2002年 | 5回 | 2004年 | 9回 | 2006年 | 24回 | 2008年 | 5回 | 2011年 | 2回 | 2019年 | 1回 |
だが、通勤先が変わったりなどで2010年はとうとう来店ゼロに。その後もすっかり足が遠のいてしまい、2011年は二度、2016年、2019年は一度ずつという少なさ(2012~2015年、2017年、2018年、2020年、2021年も記録なし)。縁遠くなったところでの本館閉館(→再開発)である。そういうことならもっと行っておくんだったと思ったりもするが、自分では意識しない何かしらの理由があって足が向かなくなっただけ?と考える面もあったりで心境は複雑である。
ともあれ、筆者にとってなじみのある建物だったことは確か。という訳で最後に一言。
長い間お世話様&ありがとうございました。
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