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第568話 宣言の合間で(2021.5.1)

 緊急事態宣言の2回目が解除されたのは3月21日。3回目が発出され、対象期間に入ったのは4月25日。3回目がいつから始まるのかが周知されていたならともかく、わからない以上は宣言にかからないと見込まれる範囲でいろいろと予定を立てておくしかない。

 3月21日~22日は、2回目の解除に合わせた旅に出た。吾妻線を往復してから伊香保温泉で一泊。伊香保をたっぷり観光して、特急「草津」で帰ってくるという至ってシンプルな旅だった。

渋川駅に入線する特急「草津4号」。この651系に乗るのは、特急「ひたち」時代以来。

 4月8日~9日は、烏山線を往復してから日光へ。清滝の温泉宿で一泊し、翌日は二荒山神社、日光東照宮などで過ごし、特急「日光」で帰途についた。往路で青春18きっぷを使う前提があったため、限られた期間内で群馬、栃木を似たようなパターンで旅をすることになった訳だが、今思えばタイミング的には上々。今回の緊急事態宣言は、次の旅を考えていた段で出たため、幸いキャンセルも何もない。泊まりがけの旅(+不要不急の外出)はしばらくお預け、というだけの話である。

浦和駅を発車する特急「日光8号」。成田エクスプレスで使われていた253系が行楽用で走る。この車両に乗ったのは実は初めて。

 4月半ばから宣言発出までの間は、都内でいろいろと用件があった。主なものを挙げると、自転車での深夜の外出、レンタカーでの荷物の運搬、1日乗車券を使ったバスでの行ったり来たり。レンタカーの一件は前々から予定していたが、結果的に狙いすましたようなタイミングになった。1週遅れていたら、所定の用事は果たせなかっただろうと思う。

 宣言の合間に実現した三つの用件。軽く振り返ることにする。


自転車で夜行車両を追う

 都営三田線用の現行車両は、1993年から2000年にかけて導入された6300形。この後継となる新型車両6500形(→参考)が落成し、最初の8両が車庫にやってきたのは2020年11月上旬のことだった。東大阪市にある車両工場から電気機関車に牽引されて越谷の貨物ターミナルへ。三田線の車両基地は西台にあるので、越谷からどうなるのかと思っていたら、トラックで日光街道、環七通り、環八通り、国道17号(中山道)などを経由して運ばれたというのだから「!」である。

 環八通りを通ったとなれば、正に地元。知っていれば見逃すことはなかっただろう。次の8両が来る日を待ちわびること5か月。4月10日、遂に動きがあった。越谷に着いた後、最初の2両が陸送されるのは12日の深夜見込みとの情報を得る。で、日付が変わった13日の1時前後に環八通り某所で待機したのだが… 残念ながら空振り。前回とルートが変更になり、環七通りの次は環八経由ではなく、板橋本町で曲がって国道17号に入るということがわかった。

 6500形の陸送はトラック1台につき1両で、2両分を4日に分けて行われる。初日で見逃してもまだ3回チャンスがあるというのは大きい。2回目となる14日は、環八通りと国道17号がクロスする志村三丁目交差点に1時台に出向き、歩道橋で待機。5分と経たないうちに当のトラックが姿を見せ、「道路を走る鉄道車両」を目の当たりにすることができた。感動モノだった。

 この時は自転車で移動。折角なので、車両基地の近くまで追いかけ、道路脇で停車中のところをじっくり観察、撮影させてもらった。帰途についたのは2時前。こんな深夜に自転車を走らせることはまずない。いろいろな意味で稀な体験ができた真夜中の1時間だった。

歩道橋から6500形(6502-5)を撮影(4月14日 1:31)。信号でしばらく停車していたため、様々な角度で撮ることができた。
志村検修場まで残り約500m地点でしばらく停車。郵便ポストや街路樹と一緒に鉄道車両を撮れる機会はそうそうない。写真の車両は6502-6。
ルートと大まかな通過時刻がわかったので、2日後の4月16日は、志村坂下交差点で待機。国道17号を左折し、高島通りに入るところをバッチリ撮ることができた。(動画でも撮影) この先頭車両(6502-1)の通過時刻は1:27だった。
トラックで運ばれる6502-1。6500形が実際に営業運転を始めるのは2022年度に入ってから。試運転が始まったらどこかで見に行こうと思う。
新蓮根団地の前で車両が縦列に並ぶ。6502-1の左奥が6502-2。(4月16日 1:41)

レンタカーで物流博物館へ

 レンタカーの件は、専門性の高い資料や書籍の類を然るべき博物館に寄贈しようというプロジェクトに伴うもの。それらは実家にあり、持ち主の父ともども移動する必要からクルマの出番となった。ただし、引き取って寄贈してというのを一日でやろうとすると無理があるので、4月21日に引取、22日に寄贈と2日プランで臨んだ。

 21日は久しぶりに水戸街道を都心部まで走り抜けた後、靖国通り、白山通りなどを経由し帰宅。22日は環七通り、要町通り、川越街道、春日通りなどを経て(水道橋のホテルで父と合流後)、寄贈先の物流博物館(港区高輪)に向かった。

実家と自宅をクルマで行き来する場合、普段は青戸で曲がってしまうため、水戸街道を青戸から南に向けて走るのは稀。その道中、かつては目立つ目標物はなかったが、今はスカイツリーがある。(葛飾区白鳥界隈が渋滞気味で、信号待ちも長め。立石5丁目交差点付近で記念に撮影。)
物流博物館に向け、八ツ山通りから御殿山を経由するルート(一方通行)を選択。さすがは御殿山という景観が現われ、何枚か撮ることに(都度、側道に停めて撮影)。

 前々から気になっていた物流博物館。普通に訪ねてもよかったのだが、テーマに沿った案件がある以上、それらを活かさない手はない。箱をクルマに積み、自ら物流を担う形での来館というのがまた有意義。とにかく晴れて訪ねることができ、今回担当いただいた主任学芸員の方にはご厚意で館内の案内もしていただけた。ありがたい限りである。

物流博物館。4月29日からは再び臨時休館に。
入口には設立趣旨の掲示がある。「物流博物館」として当地に開館したのは1998年10月。ベースは、1958年に日本通運の本社に設けられた「通運史料室」とのこと。

 博物館滞在は3時間半ほど。いい意味で一同ハマってしまった訳だが、その分帰途では寄り道する余裕はあまりない感じに。高輪から実家方面に直行・・・その場合、新橋、銀座、日本橋を通って、水戸街道に入ることになる。その新橋~日本橋は、銀座線の上。斯様な都心部を自分の運転するクルマで走ったのは、平成初期の頃以来である。あの頃は…と当時の雰囲気を懐かしく思い出しながらのドライブだった。

近くを通るので、高輪ゲートウェイ駅に立ち寄る。駅周辺は閑散としていて、クルマの通行も人出も少なかった。
おなじみの銀座四丁目交差点。気分はすっかり「お上りさん」。
実家に直行と思ったが、夕食の時分になってしまったため、選択肢の多い大型商業施設へ。「アリオ亀有」を訪ねたのも今回が初めてだった。こちらも宣言発出とともに専門店の多くは休業に。(→ご案内

 レンタカーは48時間借りて、222kmを走った。成果は大だったが、都心部のクルマの運転が何かと大変なことを改めて認識できたのも一つの収穫。同じような機会があったら、より安全面に留意しようと思う。


国際興業バス&一日乗車券

 4月24日は、国際興業バスで主に板橋区内を周遊。成増方面に所用があってのバス利用だったが、「都内全線乗り継ぎ一日乗車券」をできるだけ活用するというのもテーマではあった。

「都内全線乗り継ぎ一日乗車券」。4月18日に2枚購入し、24日に使った。過去の使用例は、第249話など。

 一日乗車券は500円。都区内均一区間は一乗車220円なので3回乗れば元はとれる。この日は結果的に7回乗車。思いがけず成増駅周辺で過ごす時間が長くなってしまったが、降りるべきところでは降り、必要な用事は済ませた。一日乗車券は何かと便利な訳だが、この手の紙券(スクラッチ式)タイプは発売終了に。これも時代の流れなのだろう。ちなみに発表があったのは4月16日。発売終了日は4月25日ということだったので、急と言えば急な話だった。

 「都内全線乗り継ぎ一日乗車券」がなくなる代わりに、26日からは東京都内+埼玉県内の国際興業バス(一般路線)で使える「IC一日乗車券」が発売となった。県境を越えるバスにも乗れるようになる点では進歩だが、発売額は700円に。都内に限った利用者にとっては少々痛い。幸い発売終了後も、2021年いっぱいは使えるということだったので、一日乗車券で動いている途中で営業所に寄って買いだめすることにした。

成増に来た以上、ここは外せない。地元のハウジングステージがなくなってしまった今、ここが代替の場。1月9日にオープンしたばかりだが、コロナ禍には勝てず… 宣言期間中はイベントが中止に。
赤羽ハウジングステージ(→第562話)と比べると規模は小さめ。アピールポイントは「ニューンーマル時代の住まい全6棟」とのことなので、これくらいがいいのだと思う。
500円×10枚で5,000円。一日乗車券の大人買いである。

 2021年のうちに使い切れなかったら? その点も大丈夫。2022年になれば、無手数料で払い戻してもらえる。


 そんなこんなで2021年のゴールデンウィークは宣言の真っただ中。そうした時期だからこそできる取り組みを鋭意進めようと思う。

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