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第601話 東急グループ創立100周年(2022.9.15)

 さる9月2日は、東急電鉄の前身、目黒蒲田電鉄の創立から100周年にあたる記念日。つまり、目黒蒲田電鉄が誕生したのが1922年のその日で、今の東急グループはそこから始まったということになる。(参考 → 東急100年史特設サイト

 目黒蒲田電鉄は、1923年3月に目黒~丸子(現在の沼部)、その年の11月に丸子~蒲田を開業。これが後の目蒲線になる。東急の源流はこの目黒~蒲田と言って良さそうだが、2000年8月に途中の多摩川駅で分割され、目黒線(目黒~多摩川~日吉)、東急多摩川線(多摩川~蒲田)という今の形に。目黒線が何かと進化する一方で、東急多摩川線の方はめぼしい話を聞かない路線になっているが、とりあえず来年は目蒲線開業100周年を迎えるため、おそらく目黒線、東急多摩川線の別なく、記念きっぷや記念グッズなどが出てくるものと思われる。

 筆者が東急線のお世話になったのは、大井町線沿線在住時や、勤務先が武蔵小杉エリアだった頃が中心。そんな東急がめでたく100周年となれば、何かしら書いておこうと思うのが筆者流である。9月2日の当日は特に出かける向きはなかったが、その前後(1日、3日)は渋谷に出かけ、少なからず得るものがあった。まずはその記念日周りについてご紹介する。


祝!100周年

 9月1日(木)は終日OFF。東急の記念日前日だからという訳ではなく、生まれ変わった東急プラザなどでのイベント「大人の休息 旅する高野山 in Shibuya」が目当てで、この日の体験プログラム(写経、ごまとうふづくり)や、高野山観光の情報収集などで日中を過ごした。

東急プラザが入る「渋谷フクラス」1階の会場。「高野山の魅力展示コーナー」で各種情報をチェック。
こちらは6階会場。アンケート回答で、グッズをいただく。(筆者は南海電車のクリアファイルにした。)

 東急線の渋谷駅にも少しだけ立ち寄り、掲示物などをチェック。記念日関係でめぼしいものを挙げるならこちらのポスターということになるだろう。

「これからの100年も心を込めて」ということで、「各駅からのメッセージ」ポスターが掲出。左が東横線渋谷駅、右が田園都市線渋谷駅。メッセージは各駅のほか、各部署の分もあって充実。ここでひととおり見ることができる。

 3日(土)は井の頭線を撮りに行く用件があって、その起点として再び渋谷へ。高野山のイベントは益々盛況で、プログラムは早々と満員御礼だった。筆者は1日にひととおり見ているが、この日はおさらいを兼ねて会場を一巡。その後、記念日翌日の渋谷駅の様子を見に「渋谷ちかみち」に向かう。その途中、「WANDER COMPASS SHIBUYA」なる観光案内所に行き当たり、足が止まることに。記念日当日に発売された「東急グループ創立100周年記念乗車券」がまだ売り切れていなかったのである。

WANDER COMPASS SHIBUYAにも祝賀ボード
その店頭には記念乗車券のポスターが出ていて・・・
ポスターの下を見たら「在庫あります」!
思いがけず記念乗車券を買うことができた。グループ5社(東急電鉄、伊豆急行、上田電鉄、東急バス、じょうてつ)の乗車券のセットで、価格は各券の合計額と同じ2,670円。

 リリースでは「9月2日(金)は整理券の配布を実施いたします。整理券は9月2日(金)の午前5時00分から、WANDER COMPASS SHIBUYAの店舗前で行います。」とあって、これは厳しい…と諦めていた筆者。なぜ残っていたのかは不明だが、記念の品が一つ手に入ったのは大きい。保存版としてキープしたいところだが、「東急バス1日乗車券」は機会があれば使うかも知れない。(その節はまた当モノローグでと思う。)

 100周年を迎えた後、東急線に乗ってどこぞへというのは今のところやっていない訳だが、いずれ自発的な取材方々出かけるつもり。狙い目は目黒線で、着目点は構内の路線図だったり、番線の行先表示だったり・・・年内にはと思っている。


東急電鉄ネタ、あれこれ

 トランクルームが資料室の体を成しつつある中で、今回正にその使い方ができたというのは大きい。東急(主に電鉄)に関する資料はその見出しのボックスファイルを取り出せば一発で出てくるようになったため、歴史の一端がわかるものをピックアップするのも随分と容易になった。

 安直ではあるが、以下はここ30年ほどのストックからの分を撮って並べたもの。100年のうちの3分の1ながら、今となっては貴重な観はある。ひとつご高覧いただければと思う。

1989年2月発行の東急沿線ガイド。横に広げると、沿線の名所や施設の案内、駅などの簡単な情報が出てくる。コンパクトだが、大きさはA2サイズ。展開した裏面はイラストマップになっていて至れり尽くせり。
関西の私鉄各社では導入済みだった自動改札機。関東では遅れていて、1989年当時も途上だった。
東急線での自動改札機設置状況。代官山駅は11月16日設置予定とあって年が書かれていなかったため、当該年(1989年)がわかった。
「東急からのお知らせ」1990年6月号の中面。旗の台駅に自動改札機を設置(自動改札機は全89駅中46駅に)、目蒲線のダイヤ改正をいたします(「都心地下鉄」と直通するための目黒駅での改良工事に伴う改正)など、当時ならではの情報がいろいろ。乗降人員ベスト10も興味深いものがある。
「東急からのお知らせ」1992年9月号。30年前なので「東急創立70年記念号」にあたり、通常版より2ページ増。中面は記念グッズの詳細や、「田園都市・新玉川線」と大井町線のダイヤ改正(9/11~)などが載っている。インターネットがなかった時代はこうした広報誌が情報源。記念乗車券、記念コースターは9月2日発売で、この日の朝は通勤で大井町線、東横線に乗っているため、買おうと思えば買えた訳だがなぜかスルー。記念乗車券5,000円は高かった?
かねてから進められていた目蒲線(大規模改良)、東横線(複々線化)の工事。その工事の様子を田園調布駅で見られるというので応募し、めでたく当選。1993年12月4日、ここに記載の要領で現地を見学させてもらった。地上駅だった田園調布駅はこの工事で地下化。今にして思えば実に貴重な体験だった。
写真はそれなりに撮っていたが、地下部の撮影は難しくピントが合わず… 見上げて列車が通るところを何とか撮ったのがこの一枚。
見学会でいただいた資料の一つ。1993年はまだ二子玉川園、多摩川園で「園」つき。田園都市線と新玉川線も区別されている。こどもの国線の中間駅(恩田)もない。
こちらも見学会での配布資料。複々線化工事は、目黒~多摩川園(7.8km)の大規模改良工事、多摩川園~日吉(4.8km)の複々線化工事の2本立て。全面竣工の目標は1997年だった。この路線図を見ると、相鉄との直通も計画されているのがわかるが、当時は大倉山から分岐する構想だった点が実際と異なる。その「相鉄・東急直通線」は30年余りを経て2023年3月に開業予定。感慨深いものがある。
「東急からのお知らせ」1993年9月号の裏表紙。計画図は上掲のものと同じ。「大倉山から新横浜を経由して、相模鉄道線の二俣川方面へのルートが整備される構想がある」との記述が見られる。
「東急からのお知らせ」1993年9月号(左)、同じく1994年9月号(右)。どちらも「東横線複々線化事業特集号」だが、計画図に変化が見られる。1994年の方は大井町線の改良・延伸が示されるようになった一方で、相鉄ルートの矢印が消滅。何かあったのだろうか。
「東急からのお知らせ」1993年9月号(左)、同じく1994年9月号(右)の表紙。田園調布駅地下部の写真は保存版だと思う。
「東急からのお知らせ」は「HOTほっとTOKYU」に変わるも、通し番号は継続。2000年は大きな変化が相次いだ年で、どれも盛り沢山。4月号では恩田駅開業(3/29)、4月臨時号では複々線化の一部完成に伴う目蒲線の分割(8/6)、目黒線の武蔵小杉延伸と営団南北線(当時)・都営三田線との直通運転(9/26)の予告、7月臨時号では目黒線、東急多摩川線のワンマン化とダイヤ改正などが掲載。田園都市線・新玉川線を田園都市線に統合し、二子玉川園、多摩川園の「園」がとれたのもこの年の8月6日のことだった。
2007年7月26日、ハチ公前広場に行った際、こちらのチラシを入手。東急5000型、通称「青ガエル」をモニュメントとして設置する旨を記した一枚だった。
その「青ガエル」、何度か見ていた筈がなぜか写真が見当たらず。代わりに「SHIBUYA TERMINAL PHOTO STORY」(@しぶちか)に出ていたものを載せることにした。
幼少期に訪ねた時の記憶と重なる往時の渋谷駅。1990年前後はここにある写真と同じようなものを筆者も撮っている(と思う)。(→参考:第275話
2000年以降、渋谷駅の変化は目を見張るものがあった。めぼしい出来事があれば出かけたものだが、近年はついていけていない(と感じる)。
次なる一大変化は、東横線と東京メトロ副都心線との直通化と乗り入れ先の拡大。2010年1月の特別号では、2012年度の新宿、池袋への「乗り換えナシ!!」が大きくPRされていた。
こちらは二社共同による「METRO – TOKYU Railway NEWS」(2013年3月発行)。「相互直通運転開始号」とあるが、なぜか〇月〇日開始の表記がない。3月16日がその記念すべき日である。(参考 → 第373話
目黒線が誕生し、東京メトロ南北線、都営三田線との直通運転が始まったのが2000年9月26日。そのきっかり15年後に記念イベントが目黒駅で開かれた。
イベント会場で配られていたのがこのステッカー。相互乗り入れ対象の当時の車両が中心だが、7年前というだけあって一部はすでに懐かしい感じに。

 ここからは記念きっぷなど。これらはトランクルームではなく、自室で長年保管してきたもので、いわゆるコレクションの類になる。一部は「記念きっぷで振り返る平成時代~数字並び、磁気式、路線の変化など」に掲載しているので、それ以外の分で三つ紹介する。

上から、東横線複々線化事業の記念テレカ、電車とバスの博物館3号館完成記念乗車券、世田谷区制50周年記念乗車券
1993年12月の工事見学会でいただいたと思われるテレホンカード。多摩川橋梁部分の複々線化工事の様子がわかるという意味でも価値ある一枚。
「電車とバスの博物館」の記念乗車券は3枚セットで500円。記録帳を調べたところ、1991年5月9日、三軒茶屋駅で購入したことがわかった。おそらく通りがかりで見つけて買ったのだと思う。
世田谷区制50周年の当日は、1982年10月1日。この頃は東京在住ではなかったため、自分で買ったものでないことは確か。入手経路不明ながら、かつて世田谷区民だった者としては持っておきたいアイテムだと思う。という訳で、2022年は世田谷区の区制が始まって90周年。同様の記念乗車券に関するリリースは今のところ出ていない。
平成4年5月6日の数字並び記念きっぷ(左)、ヒカリエの開業記念入場券(右)
「4.5.-6」の日付入りの硬券が7枚入って600円。今年が令和4年なので、実に30年前ということになる。いやはや…
その4.5.-6から約30年後の2012年4月26日は、渋谷文化会館の跡地にできた「ヒカリエ」の開業日。正にその当日に渋谷を経由する機会を得たので、東横線の渋谷駅でこの入場券セットを買った。白地だがこちらも硬券のセットで300円。この後、ヒカリエにも少々立ち寄り、東急バスで目的地に向かった。

東急線との関わりなど

 筆者幼少期に乗った路線としては、世田谷線、東横線などがある。学生時代に東京に戻って以降については、記録帳に記した範囲で挙げると、

年月日区間・路線
1987.5.31武蔵小杉~田園調布~大岡山~五反田、目黒~田園調布~自由が丘~二子玉川
1987.9.14東横線全区間
1987.10.24山下~三軒茶屋
1987.11.28山下~下高井戸
1987.12.29溝の口~二子玉川
1988.7.9大井町線全区間

 といった具合。田園都市線は、1985年の国際科学技術博覧会(つくば万博)をメインテーマに一人旅をした際、湘南台の親戚宅を起点に中央林間→渋谷を乗った。田園都市線全区間を通しで乗ったのはこれが初めて。新玉川線(当時)は少なくともこの時が最初だった。通勤時間帯によくもまぁと今は思う。

 東急沿線に暮らした年数としては、世田谷線の松原が4年、大井町線の等々力が3年。北区に移ってからは通勤で東横線を利用した日々があり、その一端は当モノローグを始めてからは、第2話(南北線、南へ一歩)などで少々。

松原駅が最寄りだった頃に撮った一枚(1988.4.8)。四月の大雪!である。(参考 → 第256話
五島美術館に出かけた際、上野毛駅付近で撮影(1989.3.24)。等々力に引っ越したのはこの日の3年ほど後のこと。

 1日乗車券を手にして、乗り降りに励んだことも。1991.9.16は、渋谷スタートで、二子新地、高津、電車とバスの博物館、溝の口、沼部、鵜の木、武蔵新田、矢口渡、蓮沼、千鳥町、御嶽山、石川台、長原、北千束、西小山、武蔵小山、荏原中延、下神明を巡り、ゴールは大井町だった。

 1日乗車券の旅は1989.6.4にもやっていて、この日は東横線以外の路線をひたすら乗って降りての一日だった。(参考 → 第283話

 日常的に使わくなってからも何かあれば足を運んだもので、それらを綴った話も少なからずある。

 どこかしらに東急線の話題が出てくるものとしては、

 など。(東急つながりで言えば、東急ハンズに関する話題もちょこちょこあるが、今回は東急電鉄メインということでここでは割愛する。)


 次に東急(電鉄)の話を大々的に取り上げるとすれば、2023年3月に予定されている東急新横浜線(または相鉄・東急直通線)か。同線に関係する直通先の駅では、行先案内を中心に変更点が多々出てくることが予想される。変わる前に見るなり撮るなりというのは早めにやっておこうと思う。


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