さる9月2日は、東急電鉄の前身、目黒蒲田電鉄の創立から100周年にあたる記念日。つまり、目黒蒲田電鉄が誕生したのが1922年のその日で、今の東急グループはそこから始まったということになる。(参考 → 東急100年史/特設サイト)
目黒蒲田電鉄は、1923年3月に目黒~丸子(現在の沼部)、その年の11月に丸子~蒲田を開業。これが後の目蒲線になる。東急の源流はこの目黒~蒲田と言って良さそうだが、2000年8月に途中の多摩川駅で分割され、目黒線(目黒~多摩川~日吉)、東急多摩川線(多摩川~蒲田)という今の形に。目黒線が何かと進化する一方で、東急多摩川線の方はめぼしい話を聞かない路線になっているが、とりあえず来年は目蒲線開業100周年を迎えるため、おそらく目黒線、東急多摩川線の別なく、記念きっぷや記念グッズなどが出てくるものと思われる。
筆者が東急線のお世話になったのは、大井町線沿線在住時や、勤務先が武蔵小杉エリアだった頃が中心。そんな東急がめでたく100周年となれば、何かしら書いておこうと思うのが筆者流である。9月2日の当日は特に出かける向きはなかったが、その前後(1日、3日)は渋谷に出かけ、少なからず得るものがあった。まずはその記念日周りについてご紹介する。
祝!100周年
9月1日(木)は終日OFF。東急の記念日前日だからという訳ではなく、生まれ変わった東急プラザなどでのイベント「大人の休息 旅する高野山 in Shibuya」が目当てで、この日の体験プログラム(写経、ごまとうふづくり)や、高野山観光の情報収集などで日中を過ごした。
東急線の渋谷駅にも少しだけ立ち寄り、掲示物などをチェック。記念日関係でめぼしいものを挙げるならこちらのポスターということになるだろう。
3日(土)は井の頭線を撮りに行く用件があって、その起点として再び渋谷へ。高野山のイベントは益々盛況で、プログラムは早々と満員御礼だった。筆者は1日にひととおり見ているが、この日はおさらいを兼ねて会場を一巡。その後、記念日翌日の渋谷駅の様子を見に「渋谷ちかみち」に向かう。その途中、「WANDER COMPASS SHIBUYA」なる観光案内所に行き当たり、足が止まることに。記念日当日に発売された「東急グループ創立100周年記念乗車券」がまだ売り切れていなかったのである。
リリースでは「9月2日(金)は整理券の配布を実施いたします。整理券は9月2日(金)の午前5時00分から、WANDER COMPASS SHIBUYAの店舗前で行います。」とあって、これは厳しい…と諦めていた筆者。なぜ残っていたのかは不明だが、記念の品が一つ手に入ったのは大きい。保存版としてキープしたいところだが、「東急バス1日乗車券」は機会があれば使うかも知れない。(その節はまた当モノローグでと思う。)
100周年を迎えた後、東急線に乗ってどこぞへというのは今のところやっていない訳だが、いずれ自発的な取材方々出かけるつもり。狙い目は目黒線で、着目点は構内の路線図だったり、番線の行先表示だったり・・・年内にはと思っている。
東急電鉄ネタ、あれこれ
トランクルームが資料室の体を成しつつある中で、今回正にその使い方ができたというのは大きい。東急(主に電鉄)に関する資料はその見出しのボックスファイルを取り出せば一発で出てくるようになったため、歴史の一端がわかるものをピックアップするのも随分と容易になった。
安直ではあるが、以下はここ30年ほどのストックからの分を撮って並べたもの。100年のうちの3分の1ながら、今となっては貴重な観はある。ひとつご高覧いただければと思う。
ここからは記念きっぷなど。これらはトランクルームではなく、自室で長年保管してきたもので、いわゆるコレクションの類になる。一部は「記念きっぷで振り返る平成時代~数字並び、磁気式、路線の変化など」に掲載しているので、それ以外の分で三つ紹介する。
東急線との関わりなど
筆者幼少期に乗った路線としては、世田谷線、東横線などがある。学生時代に東京に戻って以降については、記録帳に記した範囲で挙げると、
年月日 | 区間・路線 |
1987.5.31 | 武蔵小杉~田園調布~大岡山~五反田、目黒~田園調布~自由が丘~二子玉川 |
1987.9.14 | 東横線全区間 |
1987.10.24 | 山下~三軒茶屋 |
1987.11.28 | 山下~下高井戸 |
1987.12.29 | 溝の口~二子玉川 |
1988.7.9 | 大井町線全区間 |
といった具合。田園都市線は、1985年の国際科学技術博覧会(つくば万博)をメインテーマに一人旅をした際、湘南台の親戚宅を起点に中央林間→渋谷を乗った。田園都市線全区間を通しで乗ったのはこれが初めて。新玉川線(当時)は少なくともこの時が最初だった。通勤時間帯によくもまぁと今は思う。
東急沿線に暮らした年数としては、世田谷線の松原が4年、大井町線の等々力が3年。北区に移ってからは通勤で東横線を利用した日々があり、その一端は当モノローグを始めてからは、第2話(南北線、南へ一歩)などで少々。
1日乗車券を手にして、乗り降りに励んだことも。1991.9.16は、渋谷スタートで、二子新地、高津、電車とバスの博物館、溝の口、沼部、鵜の木、武蔵新田、矢口渡、蓮沼、千鳥町、御嶽山、石川台、長原、北千束、西小山、武蔵小山、荏原中延、下神明を巡り、ゴールは大井町だった。
1日乗車券の旅は1989.6.4にもやっていて、この日は東横線以外の路線をひたすら乗って降りての一日だった。(参考 → 第283話)
日常的に使わくなってからも何かあれば足を運んだもので、それらを綴った話も少なからずある。
どこかしらに東急線の話題が出てくるものとしては、
など。(東急つながりで言えば、東急ハンズに関する話題もちょこちょこあるが、今回は東急電鉄メインということでここでは割愛する。)
次に東急(電鉄)の話を大々的に取り上げるとすれば、2023年3月に予定されている東急新横浜線(または相鉄・東急直通線)か。同線に関係する直通先の駅では、行先案内を中心に変更点が多々出てくることが予想される。変わる前に見るなり撮るなりというのは早めにやっておこうと思う。
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