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第544話 平成2年(4月&GW編)(2020.5.1)

 いつもの感じで日々の何気ないあれこれを綴ることが難しくなってきたので、今回は30年前、1990年の同時期をどんな具合に過ごしていたかを振り返ってみることにした。

 時は平成2年。好景気の只中ということもあって、さまざまな催事があり、人も街も開放的な空気に包まれていたように思う。

 当時の写真をメインに、記録帳を頼りに4月からゴールデンウィークまで日付順で紹介する。ひとつご笑覧のほどを。


1990.4.2(月)

 この頃の最寄駅は、小田急線の経堂駅。駅前の「太陽神戸三井銀行」で同年開催の「国際花と緑の博覧会」の記念銀貨を引き換えに行ったり、午後は新宿に出かけてさくらや、紀伊国屋書店、レコファン、ミロードなどに寄ったり。新年度の平日初日らしい?過ごし方をしていたようだ。

経堂駅南口の太陽神戸三井銀行(当時)。旧行名(三井銀行)の文字を外した跡も見える。
記念貨幣は5000円銀貨。不覚にも保存状態がよくなかったため、2009年に日銀で5000円札と交換することに。
新宿伊勢丹付近。営団地下鉄のマークが懐かしく感じられる。

1990.4.3(火)

 授業はまだ始まっていなかったが、図書館は開いていたので大学へ。成城通りの桜は盛りを過ぎていたが、まだ綺麗だった。

桜が似合う成城通り

1990.4.9(月)

 この日も新宿へ。新宿郵便局から会社資料請求ハガキを送ったり、さくらやのメガネ館でレンズを交換したり・・・そんなことが記してある。新宿に行くと、晴れの日にはエルタワーに足を運び、この展望を楽しんでいた。中央手前に「埼玉銀行」があるのが当時のポイントだろう。

新宿エルタワー27階からの眺め(東方向)。真下に見える道路は靖国通り。奥には東京ドーム(白い楕円状)も見える。

1990.4.10(火)

 講義要項や時間割表などを受け取り、その年度の授業の組み立てを考える。授業が始まるのは翌週。学食でランチをとってから街へ繰り出すことにし、銀座、渋谷、原宿、新宿の順にめぐる。銀座三越はグランドオープン初日で、開店60周年を記念する催しも行われていた。営団地下鉄(当時)銀座線で渋谷に向かった後は、さくらやWATCH館で腕時計を買うなどして、公園通りを経由して原宿へ。山手線で原宿→新宿を移動した。この時に乗った車両は同年登場の「6ドア車」。今となってはすっかり過去の車両である。ちなみにこの頃の運賃は、銀座~渋谷が150円、原宿~新宿が120円だった。

有楽町マリオン前。映画のラインナップに時代を感じる。
「新しい銀座三越は4月10日(火)グランドオープン。」・・・正に当日。「現代フランス巨匠作家7人展」(無料)も見物。
代々木競技場の敷地から山手線を見下ろす。この車両、今や2世代前である。
山手線205系に組み込まれた6ドア車。乗り降りは多少円滑になった?(@新宿駅)

1990.4.12(木)

 特定のエリアで長々と過ごす場合は電車を使うことが多かったが、複数の街やスポットをハシゴする場合は自転車に限る。出かけたのは午後。井ノ頭通りをひた走り原宿(竹下通り)にまず向かい、その後は千駄ヶ谷、代々木、新宿などで過ごす。千駄ヶ谷に来た理由は、東京体育館。翌日(4/13)が記念すべき開館初日だったが、とりあえず前日の様子を見に来たというだけの話。何ともお気楽なものだと思う。

開館前日の東京体育館

1990.4.13(金)

 自転車デーの翌日は飛行機デー。羽田10:45発のJAL便で、伊丹に向かった。飛行機に乗ったのはこれが人生初。機体はDC10だった。

JAL109便
羽田→伊丹は1時間程度。空港からはこのバスで大阪駅へ。大阪モノレールは、まだ開業していなかった。

1990.4.14(土)

 当時の実家が大阪にあり、いよいよ引っ越すことになったのでその手伝いなどで大阪入りした。まだ準備段階だったので、午後は行楽を兼ね造幣局へ。記録帳によればこの年の桜の通り抜けは第107回。閉場ギリギリまでゆったりと過ごさせてもらった。


1990.4.22(日)

 この日のメインは、「アースデイ・フェスティバル」。あれからもう30年!である。(参考 → 第422話


1990.4.25(水)

 何を思ったか、人形町、水天宮、箱崎エリアに出没。新日本橋まで歩き、そこからJRで亀戸へ移動し、亀戸天神社にも出かけた。お目当ては「藤まつり」。それなりに堪能した筈だが、滞在時間は20分程度だった。

水天宮とロイヤルパークホテル(後方)。半蔵門線の水天宮前駅開業に向け、交差点付近は工事中。
亀戸天神前。「藤まつり」の看板や提灯に昭和の名残のようなものを感じる。

1990.4.29(日)

 1989年に続き二度目の「みどりの日」。天気が良かったので、自転車で下北沢、参宮橋、新宿、渋谷、代々木公園などを周遊し、さらに馬事公苑にも足を延ばした。自分なりに緑を満喫しようという意図もあったのだと思う。

 東急ハンズでは「ハンズデー」、代々木公園B地区では「国際スポーツフェア」、馬事公苑では「せたがや緑化まつり」がそれぞれ開催。ゴールデンウィーク向けにイベントが花盛りだったのを憶えている。

「国際スポーツフェア」会場入口。入場はしなかった。ホコテンの方も賑わっていて、代々木公園一帯がハイテンションだったのを思い出す。

1990.5.1(火)

 日比谷公園でメーデーを見物し、東京中央郵便局で公務員試験(受験申込)の書留を送り、都バスで東京駅南口~晴海見本市会場~新橋と移動し、有楽町に戻るという行程が記されていた。晴海に出かけたのは「グッドリビングショー」ねらい。これでもかという勢いでパンフレットを入手した訳だが、就活という観点ではなく、あくまで興味本位だったようだ。新橋界隈には当時、汐留レールシティというのがあり、そこで行われていた「Creativitalia展」なるものにも入場。入場料は晴海が500円、汐留が1,300円で、それなりに出費しつつイベントを楽しんでいた次第。都バスは160円だった。

「グッドリビングショー」会場入口。国際見本市会場で面白そうなイベントがあると、まめに出かけたものである。

1990.5.5(土)

 飛行機に懲りた訳ではないが、今度は新幹線で大阪へ。5/2~7の5泊6日で出かけ、最終日に実家の引っ越し手続きも終えたことになっている。あわただしく過ごしていたように思えるが、5/5は「京阪神ミニ周遊券」を使って、思いつく限りの遠足三昧。片町線に乗る、住吉大社に行く、新今宮、天王寺、弁天町などで下車しつつ、神戸をめざす。さらには京都にも足を運び、平安神宮界隈を歩いている。「三都物語」一日プランといった趣向である。

片町線片町駅。1997年3月に廃止され、今は存在しない。
阪堺電気軌道に乗ったのはこの日が初めて。上町線終点(当時)の住吉公園停留場まで乗った。住吉公園停留場も2016年1月に廃止。
住吉神社。参拝したり、散策したりのほか、卯の花苑も見物した。
元町からメリケンパークへ。「メリケンカーニバル」をはじめ、さまざまな催しが開かれ盛況だった。パーク全体での催事名は「メリケンフェスタ」だった。
フェスタでは、巡視船「せっつ」の一般公開も。この後は、海洋博物館の特別展も見学した。

1990.5.6(日)

 この日もなぜか行楽デーになっていて、1990年を代表する催しの「国際花と緑の博覧会」に家族で出かけた。会場は広く、あちこち見て廻っていたら思いがけず長居する感じに。写真の打刻を見た限りでは、11時から16時半頃までいたようだ。人気パビリオンと長蛇の列といった構図はあまりなく、どこも比較的スムーズに入れたのがまたよかった。

大阪市営地下鉄鶴見緑地線(当時)。万博会場へのアクセス線として、3月20日に開業。当初の営業区間は、京橋~鶴見緑地。
会場内ではそれなりに写真を撮ったが、決定的な一枚というのがあまりなく… 写真は、大池とシンボルタワー「いのちの塔」を撮ったもの。

 過去には、以下のような振り返りも綴った。1990年(平成2年)も気が向いたら(またはネタに窮したら?)シリーズ化しようと思う。

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