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第630話 インフルエンザ抑制のための自戒的べからず五選(2023.12.1)

 第629話をアップしたのは11/15(水)の夜遅くだった。日付が変わった頃合いから咳が出るようになって、ゴホゴホやりながらも眠りにつく。寝苦しいといったことは特になかった。

 11/16(木)はまだ動けて、日中は買い物等で自転車で隣市へ。帰宅後、多少だるい感じがしたのでひと眠りしてからテレワークを何時間か。断続的に咳は出たが平熱だったので、この時点では風邪?と考えていた。ところが夜に測ってみるとあろうことか37℃台。風邪関連の自覚症状があまりない中での発熱・・・診療所に行くべきか様子を見るべきか悩みつつ寝ることになる。

 次の日は思いがけず大雨で家から出られず… 診療所に行くのであれば翌日にとなる。午後は安静にしつつテレワーク。夜、何となく寒気を感じ熱を測ると38℃台前半だった。頭痛もあって熟睡できない一夜を過ごし、朝を迎える。熱は37℃後半。体は動かせたので、かかりつけの診療所に発熱外来の予約を入れ、指定の時間に行く。コージンバイオ社の「KBMラインチェック」で検査してもらった結果、インフルエンザ陽性と出た。インフルエンザとわかったのはいいとして、該当する症状がそれほど顕著でなかったのが不思議な限り。倦怠感はそれほど重くなかったし、熱も38.5℃を超えることはなかった。どっちみち自分で判断してはいけない件だったのは確か。いわゆるタミフルを処方してもらい、これでとにかくウイルスを弱らせることが最優先となる。

タミフルの後発医薬品「オセルタミビル」。1日2回×5日分。カプセルだったので飲みやすかった。

 それにしてもなぜインフルエンザに罹ってしまったのか... 11/13(月)、14(火)は細君と秩父・長瀞方面を旅していたが、患ったのは筆者だけ。ということはその前日までの単独行動中、出先で感染した線が濃厚。11/12(日)は渋谷、新宿、唐木田、登戸の順で出かけた。このうち最も人出が多い中にいたのはハチ公前広場だが、常時マスクは着けていたし、事あるごとに手持ちのスプレーで手指等をアルコール消毒していた。仮にこの日に感染したとすると、潜伏期間3日間(というのが合っているなら)を経ての11/15発症で合致。ただしタミフルは発症後48時間以内に服用しないと効果が得られないというから、11/18では遅い。4日間潜伏からの発熱=発症とすれば、11/18の午前中の服用で一応時間内。間に合ったのかどうか何とも言えないが、一応タミフルが奏功したようで、その日のうちに熱は下がったし、体も幾分楽になった。

11/12のハチ公前広場の様子。列ができていて何事?となる。
1923年生まれのハチ公は、今年生誕100周年。11月が誕生月ということで、11/12はその記念事業の一環として「ベッドルーム」が設定(24時間限定)。ベッドルームを前に記念撮影をする人待ちの行列ができていたという話だった。
小田急多摩線の唐木田駅では「ファミリーイベント『feel free to VSE』」が開催。こちらの白いロマンスカー(50000形「VSE」)は12/10が最終運転日。引退前の企画として、車内公開などが行われた。筆者は外観の撮影のみで長居はしなかった。
こちらは登戸駅前で開かれた「登戸・遊園 ミライノバ ハレの日」(メイン会場)の様子。こうして見ると結構な人出。ここでうつされた可能性は否めない。

 11/18は、都営三田線か多摩都市モノレールのいずれかのイベントに出かけるつもりだったが、これらはさすがに断念。土日に行われた山手線渋谷駅の工事を見に行くのも止めた。そんな訳で11/18、19は基本的には在宅+安静モード。タミフルは処方された5日分(1日2回=計10錠)を服用することが肝要との話だったので、症状が出なくなってからも飲み続けた。11/21に予約していた献血はこうした事情から1週間シフト。その他の予定は特に変更することはなかったし、ともかく大事に至らずに済んだ。動ける時に速やかに受診し、薬を適切に処方してもらい、指示通りに過ごしたのが良かったようだ。

 という訳で今回の「べからず」は、自省・自戒を込めてのインフルエンザにまつわる五選。感染を避けるのが大前提だが、感染即ち発症とならない場合もあるだろうから、その辺りの抑止として考え得ることを綴ろうと思う。


重い荷物

 秩父に行くのはよかったが、11/13、14は予想最低気温がかなり低めとのことだったので、厚手の服を予備で持って行く。荷物を持った状態で長々と移動する行程ではなかったものの、それなりの重さになっていればやはり負荷はかかる。チェックアウト後は、地酒のミニボトル、当地のミネラルウォーター(PETボトル)なども加わって、さらに重量増。水の方は途中で多少は減ったが飲み切るには至らないのでそれほど重さは変わらない。然るべき備えは大事。だが、あくまで持続可能な範囲でということだろう。

 ちなみに秩父基準の最低気温は11/13が3.3℃、11/14は0.3℃だった。


寒さ、寒暖差

 ある程度備えておいたおかげで、現地ではそれほど寒い思いはせずに済んだ。11/13夜は宿のお楽しみイベントで、秩父の市街地などの夜景観賞へ。マイクロバスの往復で、秩父ミューズパークの北側にある「旅立ちの丘」に向かい、そこで20分余りを過ごす。夜景のほかに星空も満喫できたが、標高のある地で一定時間寒い中にいたものだから体の芯まで冷えてしまった模様。この日は東京基準の最高気温は15.6℃。夜景観賞時の気温は不明だが、仮に最低気温ラインだとしたら一日の寒暖差は13℃超になる。これも十分負荷がかかる要素と思われる。

11/13夜(20:15頃)の秩父市の夜景。中央から右上に延びる明るい線は、荒川に架かる秩父公園橋から秩父鉄道の秩父駅に通じる県道(208号)にあたる。奥の山並みもかすかにわかる。

温泉複数回

 宿は温泉付きで、硫化水素臭のある湯だった。せっせと利用させてもらった訳だが、宿泊者特典でグループ施設の一つ「星音の湯」の招待券が付くものだから、折角なのでそちらもとなる。11/14は宿の温泉に浸かった上に、その温泉施設でもそれなりの時間を過ごしたものだからいつになく長湯になっていた可能性がある。泉質は「ナトリウム-炭酸水素塩(低張性アルカリ性冷鉱泉)」。適応症を見る限り、筆者としてはありがたい症例が並んでいたが、何らかの感染があった場合は逆効果ということもあるだろう。程々にすべきだったと今は思う。

「星音の湯」無料ご招待券。大変ありがたい特典だったが、タイミングとしてよかったのかどうか…

湯冷め

 この手の温泉施設は開放的な露天風呂があるのは必然。日中も決して気温が高かった訳ではないが、露天はやはり捨てがたい。寒さを感じるのは屋外と屋内とを行ったり来たりする間だけとタカを括っていたのがよろしくなかったというのはある。湯冷めとまでは行かないまでも、温まったり冷ましたりを交互にしていたのは事実。体には負担だったろうと思う。

「星音の湯」フロアマップ。大浴場、露天風呂で主に過ごしたほか、レストランで食事もしたし、大広間でくつろいだりも。当施設では3時間半以上の滞在となった。

食べ過ぎ

 11/13の夕食は「和牛の陶板焼と猪鍋」のコース。適度にお腹を空かして臨んだが、やはりボリューム多めだったようで、中盤くらいですっかり満腹に。コース中、「食事」として書かれていたのが手打ちのざるうどんかざる蕎麦で、予め一つずつ用意してもらうようにしていた。終盤に出てくるので、小盛りだろうと思っていたらこれが堂々の一人前ずつ。満腹状態だったところにうどんと蕎麦ということで、さすがにオーバーモード。それぞれ二口程度を残す結果となり、申し訳ない限りだった。存分に美味しくいただいたのはいいとしても、やはり量は考えたい。胃腸等に圧がかかったことも少なからず影響したのではないかと思っている。

和牛陶板焼(右上)から時計回りに、造り、凌ぎ(手綱寿司)、香の物、前菜、先付、猪鍋(左上)。この後、炊合せ、揚物、蒸物と続き…
終盤に「食事」として、うどんと蕎麦。ラストは栗プリン(右はその一部)だった。

 判定が陽性になってしまったのは、こうした条件が重なってしまったためと思われるが、旅の疲れなどが溜まっていてウイルスの付け入る隙があったからというのも考えられる。兎にも角にも無理はせず、免疫力を高めるべく努めるばかり。今年も早いもので残り1か月・・・重々心しようと思う。