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第525話 せっかち、あるある?(2019.7.15)

 15話周期の「べからず集」の回になった。今回は、高尚な見方をするなら行動心理面に関する考察、凡庸に言えば「人はなぜあわてるのか」といった話で、日常において「何とせっかちな…」と筆者が思う中からの七選。それぞれ思うところを綴る。「あるある」ネタに当たるかどうかは、人それぞれということで。ひとつご高覧のほどを。

店頭の券売機ラッシュ

 手軽に利用できる外食チェーン店のうち、食券を買ってからという店は多い。券売機が店内にある場合は、入りたての客の様子がすぐにはわからないこともあってか、客が集中する現象は控えめと見受ける。逆に券売機が外にある場合は、先客がいると目に付くので、それを見て並ぶお客も多いようだ。その際に生じるのが、いかに先手をとるかの駆け引きのようなもの。ある程度決めてから並ぶ分にはいいが、先手争いが目的化していると、メニューを決めるのが自ずと後手になる。券売機が複数あれば構わないが、そうでない場合にこうしたお客が来ると... ご一顧願いたいものである。

 筆者はそうしたラッシュが起きている時はしばらく様子を見ることにして、人がいなくなってから券売機の前に立つようにしている。悩ましい券売機も時にはあるので、後続が来ないうちはじっくり向き合い、そうでない時は譲ることもある。

店外券売機が2台あるケース。このように誰も並ばない時間もちろんあるが、一人が立つとあれよあれよ…という現象もちょくちょく。この店は時々利用するが、先客も後客もゼロということはまずない。

自転車を出す時は?

 駐輪スペースが広々としている時は問題ないが、所定の位置にとめるようになっている駐輪場で、ほどほどに自転車が並んでいると「!」とか「?」な事態が時に起きる。

 自転車を出そうとしている時、次にそこに入れようと待機している人がいるケースでは、一応順序があるのでどうのこうのとはならない。出そうとする人物が近くで重なる、または、一人が出そうとしている途中で、隣が来るといったケースでは、双方とも思いがけず時間がかかるような状況になることがある。タイミングを少しずらせば済む話なのだが、そうならないところに人の持つ何かを感じて仕方ない。

 券売機とはまた違うと思うが、目指す場所に先に誰かがいる→自分も早くそこへ…という心理がもし働くということであれば、これは同調性云々の世界。筆者が自転車を出す時はどうかと言えば、先に自転車を出そうとする人あれば出るまで待ち、後に誰ぞやが現われた場合は一旦その場から離れる(ことも多々)といった具合で、意図的に同調しないようにしている。

 自転車を出すにあたっては一定のスペースが必要な訳で、そこに人が重なれば出しにくくなるのは必定。互いの自転車がぶつかったり、下手するとケガを負う可能性だってある。気を付けたいものだと思う。

この程度の間隔だと、隣り合う自転車を同時に出そうとするのは困難。それでも待てない人は待てないもので…

せっかち参拝

 境内が賑わい、参拝客が列を成している場合は、前後の順はあっても、横の順は不問。前が終われば、お隣がまだ手を合わせていようが頭を下げていようが、自分の順番として参拝を始められる。それが作法というものかも知れない。

 が、閑散としていて、一人ずつ参拝しても特に支障がない場合についてはどうか。そこでは、横の順は存在せず、一人または同じタイミングでの参拝を希望する複数人が終わるまでは待機ということでいいのでは、と常々思う。

 他に誰もいないような時に、不意に参拝客が現われ、こちらが心静かに手を合わせている傍らで、ガラガラ、パンパンやられることが時々ある。筆者はそうした方を「おせっかちさん」と呼ぶことにしている。そんなに急いてはご利益も何もないのでは?と思うのだが...

 周囲を見回した上、明らかなおせっかちさんが近づいて来た時の心得はズバリ「お先にどうぞ」である。

丹後国一宮「籠神社」。三人で朝7時頃に訪ねたところ、他の参拝客はゼロだった。撮影可能な場所が限られているため、この写真だとわかりにくいが、拝殿の前に茅の輪があり、筆者は参拝前に茅の輪くぐりをしていたのだが… どこからともなくあわただしい参拝客がやって来て、くぐっている途中の茅の輪を(人を押しのけるような勢いで)通過。そんな不遜な感じでは参拝も何もないだろうと思ったものだ。

使用中

 いわゆる公共のお手洗いで、個別の空間を使う時にしばしば遭遇するのが、無理に扉を開けようとする人物。閉まっている(または使用中)なのが明らかなのにも関わらず、ガチャガチャやるというのはどういう了見なのだろう。ノックするのもどうかと思う時があるが、ガチャガチャはノックを伴わないことが多いから、よりタチが悪い。

 そこしかなくて、切羽詰まっている向きには致し方ない面もあるが、それにしてもである。他のフロアに行けば済むと思われる場合は、その旨声かけをすることも。いっそ貼り紙でもするかと思ったことも度々である。

この状態なら何の問題もない訳だが…

駆け込み

 これまでも何度か記しているので、改めて書くものでもないが、数あるせっかち行動の中で顕著かつわかりやすいという点でやはり外せない。

 ホームドア、ホーム柵の導入が進み、列車のドアが閉まる前のハードルができたことで、ホームドアなどがない駅でも心理的に抑止される?と勝手に思っているが、まだまだ…だろうか。

 余談だが、これまでの経験上、駆け込みで乗ってくる方々は、太目(または大柄)だったりのほか、多汗、風邪ひき(+マスクなし)、嗅覚へのインパクトなど、何らかの特性を有していることが多かった。駆け込まざるを得なくなっている→生活のリズムに支障→その支障はどこから?といったアプローチもあるし、もともと何かが乱れていて、ゆとりがなくなって…というのも考えられる。たかが駆け込みと思うなかれ。社会的課題と言えるかも知れない。

車間距離

 クルマを運転するのは数か月に一度程度だが、少ない機会の中でちょくちょく出くわすのが、やたらと詰め寄ってくる後続車である。筆者は基本的に制限速度派なので、一般的な速度事情に合っていないことが一因と考えられるが、決して遅い訳ではない。詰め寄ってくるのは明らかに速度違反の域と思われる。

 車線が複数ある時は追い抜いていくだけなので問題はない。一車線の場合でも道幅に余裕があり、脇に寄せて徐行(または一時停止)することで交わせる時はそれで済む。追い越しの余地がない一車線を走っている時が問題な訳だが、しばらくすれば適度なスペースが一つ二つ出てくるから、どうにかこうにか。何につけ追いかけられるのは御免である。

 本当に急ぐ理由があるのならと思うが、それでも…である。ついつい、というのは考え物。間隔を詰めた方が渋滞にならないという感覚がもしあるとしたら、それもまた一考を要する話だ。渋滞を回避するのは、実はゆとり。世に言う渋滞学は、ゆとり学でもある。

信号無視

 軽度であれば許容し得るせっかちだが、事故につながるせっかちもある。その最たるものは信号無視。横断歩道が青になって一歩、という時に目の前を猛スピードでクルマが通過というのは決して珍しいことではない。

 短期間に数回遭遇した時期があったので、その傾向を探り、自分なりに対策を考えることにした。わかったのは、

  • 赤になって強行するクルマが一台でもあると、それに追随するように2~3台続くことがある。横断歩道では、その最後尾のクルマが特に脅威になる。
  • 交差点ではなく、横断歩道に対応して設けられた信号機での信号無視(または赤信号突破)が相対的に多い。
  • 突破するクルマの運転手を見る限り、これといった特性はなさそう。男女、老若問わず、無視する人は無視。

 といったところ。対策というか、予防策が求められる話だが、行動心理レベル(同調性etc.)となれば、一朝一夕には行かないだろう。そういうものと観念して、気を付けるしかないと思う今日この頃である。

 赤信号になって少し経ってからでもこの通り。先を行くクルマ(左)もギリギリだったので、このレベルだと明らかな違反と思われる。  こうしたクルマ、観察していると結構多いことがわかった。横断時にはくれぐれも注意しようと思う。

 という訳で、当モノローグもゆったりやるようにしている。どうぞごゆるりと。

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